「たまには息抜きしたら?」に、うまく返せない

「じゃあ、その時間を与えてくれますか?」。自閉症のある子を育てるお母さんは、「たまには息抜きしたら?」と声をかけられたとき、心の中でそう思ってしまったとnoteに書いていました。自分のために言ってくれているのは分かっている。それでも、そう思ってしまう自分も嫌だった、と。

息抜きの時間は、どこにあるのか

お母さんは、上の子で覚えた育て方が何ひとつ通じなかったと振り返っています。生まれてすぐから眠れない日が続き、頼れる実家も身内もなく、当時は夫にも頼れなかった。「子供は皆そうよ」と言われても、しんどいと思う自分が情けなかったそうです。

「たまには息抜きしたら?」は、やさしい言葉です。ただ、預ける先も代わりにみてくれる人もいないとき、その言葉は、休めない自分をかえって浮かび上がらせてしまうことがあります。

言った人を責めたいわけではない。でも、うなずいたあとに、少しだけさみしさが残る。そんな経験はありませんか。

「美容院に行きたい」

障がいのある弟と育った女性は、母がよく「美容院に行きたい」「ゆっくり買い物がしたい」と言っていたと書いていました。子どもの頃は、なんでいつも弟ばかりなのと思っていた。大人になった今は、どれも特別な願いではなかったと分かる、と。

預けられる人がいない。子どもの特性を分かってくれる人がいない。だから、自分のことは後回しになる。女性はそう続けていました。この一節が印象に残りました。

女性は、休むことは甘えではない、とも書いています。親が心と体の健康を保つために必要なことで、結果として子どもにとっても大切なことだ、と。

声をかけて、終わりにしない

仕事で家族の話を聞いていると、私も「休んでくださいね」と言いたくなる場面があります。でも、代わってくれる人がいなければ、休めないんですよね。だから、その言葉をかけるなら、どうすれば休めるのかまで一緒に考えたい。声をかけただけで終わりにしないように、と思っています。

「休みたい」と口にするのは、誰かに代わってほしいと頼むことでもあります。相手の都合や負担を考えると、なかなか言葉にできない。私の子育てと同じだとは言えません。それでも、あとから「言ってくれればよかったのに」で済ませることだけは、したくないと思っています。

息抜きは、気持ちの持ち方だけでは作れません。預け先という、形のあるものが要ります。

一つ知っておくと

その預け先の一つに、市町村が行う「日中一時支援」という事業があります。

国の要綱には、この事業の目的として、障がいのある人の日中の活動の場を確保することと並んで、「日常的に介護している家族の一時的な休息」がはっきり書かれています。事業所などで、日中に見守りをしてもらう仕組みです。家族が休むことは、制度の側でも目的の一つになっています。

ただ、行っていない市町村もあり、対象や使える時間、料金も市町村ごとに違います。使っている時間は、ほかの障害福祉サービスと同時には使えません。「家族が少し休むために使えるものはありますか」と、市町村の障害福祉の窓口や相談支援専門員に聞いてみるのが近道だと思います。

もし私が話を聞くなら、窓口の名前を伝える前に、「少し時間ができたら、何をしたいですか」と聞いてみたいです。美容院でも、何もせずに眠ることでもいい。そのために誰に頼めそうか、預けるうえで何が心配か。一つずつ聞いて、必要なら問い合わせるところまで一緒にできたら、と思います。

「たまには息抜きしたら?」と言われて、うまく返せなかった日はありますか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました